「憲政の神さま」といわれた尾崎行雄(雅号:咢堂)は、明治23年(1890年)の第1回総選挙で衆議院議員に選出されて以来当選25回、明治・大正・昭和の三代にわたって国会在職63年の間、憲政の発展のために心魂を捧げた人物である。
ここの記念館は、津久井が生んだ平和主義者・尾崎行雄の偉業を後世に残すために、生誕から10歳まで過ごした代々の屋敷跡に昭和32年(1957年)に建設されたものである。
所在地:津久井郡津久井町又野691
交 通:JR横浜線・橋本駅から三ヶ木行きバス、休日診療所前下車、約1キロメートル。
問合先:津久井町立尾崎咢堂記念館 042-784-0660
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記念館の資料室内。正面の咢堂肖像画は赤松麟作画伯が昭和3年帝展に出品した作品。 |
咢堂の生涯96年間の貴重な写真や文書、遺品などが数多く保存・展示されている。 |
青少年の教育道場として利用されている多目的室では、咢堂の鋭い眼差しが見つめている。 |
咢堂尾崎行雄は安政5年(1858年)11月20日、彦四郎行正と貞の長男として生まれ、明治元年に上京するまでこの地で過ごした。
慶応義塾で洋学を修めたあと文筆生活に入り、藩閥政治の打破と自由民権のために尽くした。その後、明治14年(1881年)大隈重信に認められて統計院書記官となり、同21年欧米に留学して立憲政治の実際を研究した。
明治23年(1890年)第1回総選挙で三重県より立候補し衆議院議員に選出された。以来在職63年間、軍部の反動の嵐の中で幾多の辛酸をなめながら憲政の発展に心魂を捧げてきた。
衆議院は昭和28年(1953年)、憲政の歴史を開拓してきた氏の栄誉をたたえ、咢堂に対して名誉議員の称号を贈った。
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「咢堂桜」
明治45年、当時の東京市長であった尾崎は東京・荒川堤の桜の苗を日米友好の証として首都ワシントンに贈った。
その後「桜の里帰り」が行われ、平成4年に至って津久井町に寄贈されることとなった。
品種は「普賢象」で、「咢堂桜」と命名された。
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日米友好親善のハナミズキ
(白・紅花種の2本)
尾崎がワシントンに贈った桜に対する返礼として、大正4年、アメリカを代表するハナミズキが贈られた。
この木は、都立園芸高校の原木により育てられたもので、「花を結ぶ日米友好親善ハナミズキ八十周年記念祭」を期して平成8年4月に植樹されたもの。
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敷地内には桜の大木がそびえており、春の季節には花見に訪れる人も多い。
しかし、この桜は古くからこの地にあったものであって、「荒川桜」とは関係のないものである。
また、敷地内には当時のアメリカ大統領タフト氏のひ孫にあたるオハイオ州知事から贈られたハナミズキ1本も植樹されている。 |
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尾崎家伝来の井戸
日照りが続いても涸れることがなかったといわれる。 |
先祖の墓地
記念館南側の道路を越えた高台の一角にある。 |
稲荷・先祖神
先祖の墓地と同じ高台の一角にある。 |
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