橋本の棒杭(ぼうぐい)はあつぎ(当麻)方面と田名方面への分かれ道であり、地元の人々によって守られてきた貴重な遺跡であり、市登録文化財となっている。 田名では、望地の渡し、久所(くぞ)の渡し、滝の渡しで対岸の六倉、小沢、葉山島に渡り大山へ向かった。
田名は、鮎漁が盛んであり、また、田名八幡宮の9月の大祭では境内で獅子舞を奉納、新年早々の小祭では「的祭(まとまち)」が奉納される行事があり、水郷田名として賑わった。
庚申塚は割れかけておりベルトで締められている。
小沢渡船場は、古くよりひらけた交通の要所であった。とりわけ、中世のころ大きな勢力をもっていた小田原の北条氏にとって、この渡船場は、関八州掌握の重要拠点であった八王子の滝山城との連絡や軍兵の往来に欠くことのできない存在であった。 そのころ小沢渡船場は、相模川の川西の十か村で船二艘をもち、舟渡しを行うことを北条氏から差し許されていた。 降って、天保の頃(1830〜44年)につくられた新編相模国風土記稿には「渡船場 相模川ニアリ 巾三十間許 武州八王子路ニ係ル所ナリ 船二艘ヲ置 高座郡田名村ト組合持」と、この渡船場について記している。