大山道1
 八王子、橋本から作の口、上溝を経て下当麻に至り、当麻では渡舟で上依知に渡り大山へ向かった道である。

 大山参詣の人々は八王子から橋本に入るがここで一泊した。
出発に当たって境川で身を清める精進場があり、ここで白装束に着替えて大山に向かったことが伝えられている。

 国道16号に沿った道を南下し、橋本小学校近くで当麻方面と田名方面への分かれ道に至る。この分かれ道には、市登録史跡の橋本の棒杭が残されている。
当麻方面へ向かう道は、作の口、上溝を経て当麻の渡しに至る。「埼玉往還」、「八王子道」などとも呼ばれた。

下当麻道
 室町時代には舟運所があり軍事上、経済上の拠点として、江戸時代以降は大山参りの要所として賑わった。相模川で最も古い渡し場であったと考えられている。

 この渡しは「昭和橋」の完成(昭和6年)に伴い廃止された。橋名は「昭和」という元号にちなんだものである。

当麻宿の街並み。昔は真中に水路があった。

問合先:文化財については、相模原市文化財保護室 042-769-8371



瑞光寺 橋本駅横道標 橋本駅横供養塔
曹洞宗(禅宗)瑞光寺。本尊は釈迦牟如来坐像。
寺の前の道が鎌倉街道であり大山街道である、という。
橋本駅からと県立相原高校からの道の交差点にある道標。「北 八王子方面、南 大山方面」と書かれている。
同じ場所には供養塔と石碑がある。橋本駅から国道16号線につながる道で交通量の多い交差点の横にある。

 橋本の棒杭は大山道の追分に立てられたものであるが、区画整理により旧道を失いながらも、地域の人によって守られてきた貴重な遺跡であり、市登録史跡となっている。
 道標の高さは151センチメートル、幅35センチメートルで、安政2年(1855年)に建てられたものという。

 正面に「右大山みち」、右側に「北八王子道」、左側に「南あつぎ道」とある。
橋本の棒杭
上部に不動明王像が彫られている。

大山道道標 南 あつぎ道 作の口道標
橋本の棒杭(ぼうぐい)。
「東南 当麻方面」、「西南 田名方面」と書いている。
橋本の棒杭、「南あつぎ道」と読める。
民家の敷地内にあり、元の位置だそうだ。
作の口道標。「北 埼玉方面、南 大山方面、東 横浜方面」と書かれている。この坂は「観音苦行」といわれる難行であったという。

日枝神社 大鷲神社 田尻の道標
国道129号立体交差横にある作之口日枝神社。古くから作の口集落の鎮守として祀られていた。
上溝にある大鷲(おおとり)神社。江戸時代には六斎市が開かれていたという。
田尻の道標。「北 埼玉方面」、「南 大山方面」と書いている。もう一方は座間に至る道で八王子道とも呼ばれていた。

大正4年の田尻の道標 当麻の渡し道標 当麻の田んぼ風景
大正4年の田尻の道標。「此方 座間 麻溝」と書いている。
当麻の渡しの道標。半分欠けた石碑やもう読めない石碑が並んでいる。
当麻の田んぼ風景。用水路が縦横に引かれている。

昭和橋 依知神社 依知神社の大銀杏
昭和橋。左側大きな雲の下に大山が見える。
昭和55年には上流側に「新昭和橋」ができた。
依知郷総鎮守の依知神社。鎌倉幕府二代将軍頼家が再建したという。
依知神社の大銀杏。かながわの名木100選の一つ。樹高30メートル、樹齢約500年(推定)。

参考文献:相模原市教育委員会「相模原の文化財」、「さがみはら風土記稿」、特別展「”道”再発見」及び現地案内板

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