この寺は、山号を「淵源山(えんげんざん)」といい、厚木市七沢にある曹洞宗広沢寺の末寺である。縁起によると暦応年間(1338-1341年)、境川に住んでいたという大蛇をこの地の地頭淵辺義博が退治し、3体に分散した蛇体をおのおのの地に葬ってそれぞれ龍頭寺、龍像寺、龍尾寺としたと伝えられている。その後、3寺とも荒廃してしまったが、弘治2年(1556年)に巨海(こかい)和尚によって龍像寺だけ再興された。寺宝として、龍骨の一部と義博の矢じりと板碑が所蔵されている、という。
墓地内には江戸時代にこの地の地頭であった旗本岡野家の墓地があり、市指定史跡となっている。また、この寺の近くの龍像寺坂は、江戸時代の当麻道と同者道(大山道)の分かれ道であった。