相模原の寺社・文化財 -さがみはら百選-
無量光寺
当麻山無量光寺は時宗の開祖である一遍上人の縁の寺として知られ、
かながわの景勝50選
の一つに選ばれている。
諸国遊行の途中の一遍上人が鎌倉時代の弘長元年(1261年)金光院という庵を結んで修行に励んだのが寺の起りであるという。後の嘉元元年(1303年)、一遍上人の弟子であった真教が遊行の後に、この地に無量光寺を建立し定住したという。
また、無量光寺下の当麻宿(昭和橋付近)は、
相模川
を上下する舟の舟運所があった。
寺は幾度かの戦火で諸堂は焼失した。再建された本堂も明治26年(1893年)の大火によって焼失した。現在は仮本堂が残るのみだが、本尊は焼失を免れ、現在も人々の信仰を集めている。
【宗派名】時宗旧大本山
【本尊】宗祖一遍上人御影ノ像
【開山】智真一遍上人
【開基】二祖真教上人
所在地
:相模原市当麻578
交 通
:JR原当麻駅より徒歩10分
問合先
:文化財については、相模原市文化財保護室 042-769-8371
江戸時代、無量光寺は広く人々の信仰を集めており、このお寺をめざす人々がよく行き来した。この道を
当麻道
と呼んでおり、
かながわの古道50選
の一つとなっている。
無量光寺山門。この山門の他境内そのものが市指定史跡となっている。
一遍上人像。「宗祖一遍上人御影ノ像」が本尊である。
御影の池。一遍上人が自らの姿をこの池に映して、木像に刻まれたと伝えられる。
「一遍上人御歌」とかかれた石碑
なぎの木。一遍上人が立てた杖から根づいたされる「逆さ木」
お髪五輪塔。徳川家康の先祖父子が剃髪し、その髪を埋めたところといわれている。
歴代住職の宝筐印塔(ほうきょういんとう)が立ち並んでいる。
笈退の付近。石碑がある。
笈退の清水が出たところと思われる。コンクリートで保護されている。
無量光寺山門が市指定有形文化財
となっている。 腕木門の親柱の背面に袖をつけ、屋根をかけた高麗門と呼ばれる形式の門である。間口は12尺、柱高は13尺あり、親柱も見付寸法が1.5尺あって、大寺にふさわしい堂々たる門である。
主要材は、控柱が杉であるほかは欅で作られている。
木造 一遍上人立像が市指定有形文化財
となっている。(写真はレプリカ)
伝承では、弘安5年(1282年)、一遍上人が自ら水鏡に映した姿で頭部を刻んだといわれる。寄木造、玉眼嵌入、現在は下地布張に漆塗りとされているが、全体にわたり補修が加えられ、原型は脚部にとどめているという。
像の高さは159.4センチメートルという。
無量光寺境内及び笈退(おいしゃり)の遺跡が市指定史跡
となっている。
境内北方400メートルの地の笈退は、宗祖一遍上人の伝承をとどめる遺跡である。
一遍上人は弘安4年(1281年)にこの地に滞在されたといわれ、笈退はこの年の80日の干ばつの際、一遍上人の三日三晩の雨乞い祈念によって、清水が湧き出たという伝承の場所である。
参考文献:相模原市教育委員会「相模原の文化財」及び「さがみはら風土記稿」
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