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![]() その後、幾たびかの再建・中興が行われ、代官平岡岡右衛門吉道(ひらおかおかえもんよしみち)と僧喚室宗応(かんしつしゅうおう)によって曹洞宗に改宗され、功雲寺(津久井)の末寺として再び開基されたとされている。 所在地:相模原市新戸2079番地 交 通:JR相模線相武台下駅から約400メートル 問合先:文化財については、相模原市文化財保護室 042-769-8371 ![]() ![]() 江戸時代にはここで寺子屋が開かれたとの記録も残されている。 長松寺文書(ちょうしょうじもんじょ) ![]() ![]() ここに残されている古文書は相模原市域に現存するものの中で最古のものである。 郷土の歴史を知る上で極めて貴重なものとされ、市指定有形文化財(古文書・非公開)となっている。 この文書は、応永3年(1396年)、室町幕府が東国を支配するために置いた鎌倉府の長官足利氏満から長松寺に対して発せられたもので、長松寺に田畑を寄進すると記されている。 料紙の大きさは縦39.4センチメートル、横58.2センチメートル。文書の一部には後筆と破損も見られるが、表装され軸仕立てとされている。寄進状には次のように書かれており、氏満が長松寺に対して田畑240歩(約792平方メートル)を寄進するという内容である。 寄進す 拾石 建長寺宝珠庵末寺長松寺 相模国座間郷の内の田畠 大(注文別紙にあり)の事 右は当寺領として元の如く沙汰致さるべきの状 件の如し 応永三年十二月十七日 左兵衛督源朝臣(花押)
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