大山が全国に知られるようになったのは、江戸時代、庶民の間に大山信仰が広まり、各地に「大山講」が結ばれ、白衣・木の杖・振鈴の姿で「大山まいり」が盛んに行われるようになったことによる、という。
大山街道は、江戸赤坂御門を起点として多摩川を渡り、二子・溝口を経て多摩丘陵をあがり、さらに厚木・伊勢原・秦野を経て関所のあった矢倉沢を過ぎ、足柄峠を越えていた。
東海道と甲州街道のあいだを江戸に向かう脇往還として、「厚木街道」あるいは「矢倉沢往還」とも呼ばれ、現在の国道246号線沿いの道である。
大山阿夫利神社は崇神天皇の頃(紀元前97年頃)の創建と伝えられている。祭神は、大山祇神(おおやまずみのかみ)、雷神(いかづちのかみ)、高おかみの三神で、さらに大山の姿が遠く海上からも望まれたので、海人たちの守り神として鳥石楠船神(とりいわくすぶねのかみ)も祀られている。