相模野基線北端点(一等三角点)は、明治15年(1882年)陸軍省参謀本部測量課(現在の国土地理院)が地形図全国整備計画に基づき、近代測量の最初の相模野基線を設けるにあたり、同基線の北端にあたる当時の高座郡下溝村に設置したものであり、
市指定史跡となっている。
相模野基線は、この北端点と当時の高座郡座間入谷村に設置された南端点とを結んだ直線のことをいう。明治15年3月から準備作業が進められ、同年9〜10月にかけて両端間の実地測量が行われ、その基線の全長距離5209.9697メートルが算出された。
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翌明治16年4月からは三角測量が開始され、順次基線を拡大することにより一等三角網(平均距離40キロメートル)が形成され、より大きな三角網となる丹沢山と鹿野山の間の距離が算出された。
その後、三角測量は順次全国へと進められ、大正14年には全国の5万分の1地形図として完成した。
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所在地:相模原市麻溝台4丁目2099
交 通:小田急相模大野駅より女子美術大学行「はの原」下車。
問合先:文化財については、相模原市文化財保護室 042-769-8371
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はの原バス停近くの北端点の標識。 |
これが相模野基線北端点である。 |
国土地理院の説明文。北端点用。 |
北端点と南端点間は全くの野原で櫓の上からお互いに見渡すことができたという。
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相模野基線南端点。座間市ひばりが丘の某医院の敷地内にある。 |
これが相模野基線南端点。左写真の説明文の横にある。 |
国土地理院の説明文。南北の相違以外は同文である。 |
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明治33年に基線中間点(四等三角点)を設置。他に第1、第2中間点があるようだ。 |
@鳶尾山、長津田村。A浅間山、連光寺村。B丹沢山、鹿野山と順次拡大していった。 |
参考文献:相模原市教育委員会「相模原の文化財」及び現地案内板
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