安産の守護神牛王姫伝説のいろいろ
牛王姫は、実は義経の側室ではなく「熊野牛王売り」の一女性の哀話だった、とする興味深い説を稲葉博先生が著書「神奈川の古寺社縁起」の中で述べておられるので、要約して紹介しておこう。
牛王売りとは、牛王宝印の押してあるお守りの紙を売り歩く人たちであり、その牛王とは半紙ほどの大きさに、カラスと宝珠を以って図案化し、黒で印刷し神秘的な感じを与えるお守り紙のことである。
「義経が自分には決して、二心がないことを、この熊野牛王紙にしたため、頼朝に訴えた。また一方この逸話を牛王売りたちが販売に利用したというのである。全国津々浦々まで売り歩いた牛王売りの女性たちが、相模のあたりを漂浪していて、その中には御師や山伏と夫婦関係にある者が多かったから、ときには道中で出産する場面も多かったであろう。
義経の話を語り伝える中に、いつしか実際にあったと思われる名もない牛王売りの難産の悲話が、義経を慕って奥州へ落ちてゆく牛王姫物語に発展し、当社の縁起となったとは考えられないだろうか。」と、推理している。
以上の他に、一色伊予守六郎の妻説(海老名での伝承)や、平清盛の側室常盤の娘説(座間古説)などがあるが、いずれも護王姫が星の谷で難産で苦しんで亡くなったことは一致している。
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